1952年(昭和27年)2月26日1952年4月28日講和条約の発効 山内氏の写真コメントより 学生航空連盟発足 読売新聞社は航空思想普及のため全日本学生航空連盟を結成。
 4月30日皇居前広場で02式P1プライマリー(JA0001)が初飛行。
 5月1日玉川読売飛行場にて土、日曜に滑空機飛行訓練を開始。当初は1機であったが、10月にはセコンダリー1機も加わり会員は個人と学校単位を合せ100余人にも達した。
 7月23日玉川読売飛行場にて初の合宿訓練を10日間実施。
 10月山内氏全日本での飛行活動はS28年5月の警察学校での訓練となっている 大学生、高校生の会員増加に伴い機構が見直され、学生航空連盟として再スタートした。
 12月千葉県蘇我にてプライマリーで冬期合宿訓練。
1953年(昭和28年)1月千葉県蘇我で冬季合宿訓練。前年12月と2回に分かれて実施した。
  自動車曳航始まる。
 3月玉川読売飛行場で連続訓練。
 3月7日学生航空連盟機関誌「大空」No.1が発刊。
 6月学生航空連盟東北本部発足。
 9月20日第一回航空日・航空ページェントが羽田空港で開催。参加機47機。 学生航空連盟から小林金也がプライマリーで、五島登がH-22で参加し展示飛行を行った。また元教官の丹波勤氏がソアラーで、読売新聞社の大関昇氏がR-52で曲技飛行を、元教官の木暮右太郎氏がベル47Rで妙技を披露し絶賛された。
1954年(昭和29年)5月五島登、八木沢敬(両大学生)が日本一周飛行に向け阪神飛行場 (現八尾空港)で飛行訓練。
 6月五島登、八木沢敬(両大学生)が自家用操縦士に合格。
 6月 4日平山彰一、高田浩義、鈴木常正、打林亨が自家用操縦士に合格。 鈴木、打林は日本最年少の自家用操縦士となった。
 7月 29日二子玉川読売飛行場で夏季合宿。約50名が身延山別院に宿泊。 プライマリー2機、プラセコ1機が使用された。「光」大破。
 9月 12日12~17 第二回航空日記念全日本滑空機競技大会 玉川読売飛行場で開催され、石川正、朱旺来、五島登、東信幸、平山彰一、八木沢敬、高田浩義、打林亨、鈴木常正が中級班で出場した。H-22、鷹七の4機を使用し、自動車曳航で行われた。
   10月 3日全国都市訪問飛行 五島登、八木沢敬、両大学生は読売新聞社創立80周年を記念した全国都市訪問飛行の途に二子玉川読売飛行場を出発。
 10月 16日69都市を空から訪問した全国都市訪問飛行を無事終え、二子玉川読売飛行場に着陸。全日程が終了した。
1955年(昭和30年)8月 24日長野県軽井沢飛行場で夏季合宿。 天皇陛下が付近を散策するおり、訓練の模様をご覧になるということもあって盛大な合宿となった。 合宿終了後は大学生と高校生のストーム。一晩中続いた。 岡見義昭(高一)、プライマリー初搭乗。
 10月H-22(JA0083)が無人で曳航され墜落、抹消。
1956年(昭和31年)1月 7日H-23(JA2018)の試験飛行始まる。
 1月鈴木常正が二子玉川では初めて7分20秒の滞空。 玉川での離脱高度は600~650ft程度。
 3月H-23(JA2018)が、「報知号」として報知新聞社より贈呈。
1957年(昭和32年)3月 26日学生航空連盟初の30分以上の滞空記録。(福山勝郎/31分/高度950m)
1958年(昭和33年)3月 24日24~29日にかけて沼津・象山で滑翔訓練。 佐藤一郎、木暮右太郎教官がH22(JA0127)で10時間20分の日本新記録。館岡和男、五島登教官が8時間00分。 29日には岡見義昭、福山勝郎助教官が3時間余滞空した。
1959年(昭和34年)7月 23日自衛隊熊谷基地で夏季合宿。久々の猛暑の中での訓練。
1960年(昭和35年)7月御殿場で夏季合宿。 滑走路以外は傾斜地ばかりで平衡感覚がおかしくなる。
 12月学生航空連盟初のウインチ製作開始(翌年7月までかけ作業)
1961年(昭和36年)7月自衛隊百里基地で夏季合宿。 (航空協会より借用のベルケファルケ複座使用) 五味君「飛行場に届きません。どうしましょ。」とアウトランディング。
1962年(昭和37年)3月 20日学生航空連盟機関誌「OZORA」発刊。 編集委員は照井祐之、上遠野秀樹、斉藤彪、土井充夫。
 3月 31日二子玉川読売飛行場で、H-22(JA0127)とH-23(JA2018)が空中衝突。JA0127は抹消登録。 藤本周男君(神奈川大)墜死。
 6月 7日日本航空協会で小田勇、志鶴、渡辺敏久氏と座談会。
 7月 21日21~31日にかけ、二子玉川読売飛行場で夏季合宿。 当時の費用: 食事代270円、布団代35円、宿泊代50円
 7月H-22(JA0184)第二報知号が報知新聞社より贈呈される。
1963年(昭和38年)3月 27日第1回学生グライダー選手権大会 27日から4月7日まで、仙台市霞の目飛行場で開催された。 学生25名、H-23A3、H-23B2、H-23C、ベルケファルケ4機を使用して競技が行われた。
 4月 1日月額会費が400円となった。相変わらず未納者多し。
1964年(昭和39年)2月 2日二子玉川読売飛行場でH-32地上テスト。
 2月 25日学生航空連盟初のオープントレーラー完成。
 3月 9日第2回学生グライダー選手権大会が 9日から18日まで藤沢飛行場で開催された。
 4月 7日H-32試験飛行が藤沢飛行場で開始。
 7月 23日23日から8月2日まで二子玉川読売飛行場で夏季合宿
 11月 8日H-32が二子玉川読売飛行場で初飛行。
 11月 23日ピスト~ウインチ間、電話線埋設作業始まる。(1月4日完成)
1965年(昭和40年)3月 11日第3回学生グライダー選手権大会が 11日から21日まで仙台市霞の目飛行場で開催。 明け方、仙台の手前で道路が凍結。ヒヤヒヤの機体運搬だった。
 8月 2日報知号(JA2018)1万回飛行達成、第2種滑空機では日本初。 第3種では過日JA0084が1万回飛行を達成している。
 10月 5日5日から8日まで、藤沢飛行場で記録会開催。
 10月 16日報知新聞社正力亨社長を訪問。 報知号1万回飛行達成を報告、30分間懇談した。 正力社長より「グライダーを通じた経験を生かし、りっぱな社会人になってほしい」と激励された。
 12月 27日竜ヶ崎飛行場で飛行機曳航練習会開催。 この年、二子玉川読売飛行場で吉永小百合、和泉雅子、芦川いずみ出演の「七つの恋の物語」の撮影が行われた。
1966年(昭和41年)1月 2日5時間滞空記録会が2日から30日まで、大阪八尾空港にて開催。 佐藤一郎、坂本輿司郎、照井祐之、中場義之助、上遠野秀樹、若菜弘俊が5時間科目を獲得。銀C章獲得へ本格始動。
 3月 13日第4回学生グライダー選手権大会が13日から23日まで栃木県氏家滑空場で開催された。 加山雄三の「君といつまでも」が流行っていて、歌を口ずさみながら宿舎から滑走路へ通った。 この頃の入会金は2500円、月会費は400円、搭乗費は50円。
1967年(昭和42年)3月 12日  第5回学生グライダー選手権大会が12日から21日まで栃木県氏家滑空場で開催。
 4月学生航空連盟発足10周年を記念し、OZORA写真特集号を発刊。
1968年(昭和43年)1月筑波山で5時間滞空記録会開催。
 3月 10日第6回学生グライダー選手権大会が10日から19日まで栃木県氏家滑空場で開催。
 8月 21日21日から25日まで、朝霧高原で夏季合宿。
 12月 14日第二報知号(JA0184)1万回飛行記録達成。 搭乗者は大塚清次、中澤愛一郎。
1969年(昭和44年)2月 23日二子玉川読売飛行場返還に伴い同飛行場での訓練はこの日をもって終了。 最終飛行はH-23A-3で西川博明により行われた。
 3月 18日読売大利根滑空場開場
初飛行は坂本輿司郎教官により行われた。 開場式後、佐藤教官、五島教官による飛行が行われた。更に読売新聞社小林副社長、大利根町町長も搭乗された。
 3月 18日第7回学生グライダー選手権大会が18日~26日まで読売大利根滑空場で開催。
 3月二子玉川読売飛行場の敷地が国へ返還された。
1970年(昭和45年)3月 20日第8回学生グライダー選手権大会が20日~27日まで読売大利根滑空場で開催。
 5月 15日第1回日米友好滑空競技会が15~16日にかけて厚木基地で開催。 学生航空連盟より佐藤一郎、坂本輿司郎が参加。
 11月 1日大利根町住民招待体験飛行実施。
 12月 21日21日~24日まで太田市大泉飛行場で合宿。
 12月 25日25日~28日まで読売大利根滑空場で合宿。
1971年(昭和46年)1月 2日2日~24日まで、筑波山で5時間滞空記録会開催。
 3月 24日第9回学生グライダー選手権大会が24日~30日まで読売大利根滑空場で開催。
 4月 10日ASK13(JA2130)が読売大利根滑空場で初飛行。
 4月 10日ASK13(JA2130)の命名式が行われ「フリッパー」と命名された。
 10月 10日第2回日米友好滑空競技会が10~11日、厚木基地で開催。佐藤一郎、坂本輿司郎が参加。総合点で佐藤一郎が優勝した。
1975年(昭和50年) ASK13にて、1日最長飛行時間10時間53分を記録。
 8月 9日ASK13(JA2130)が1万回飛行達成。
1978年(昭和53年)6月学生航空連盟初の単座プラスチックソアラー、 アスティアCS77(JA2228)を導入。5時間飛行を多数記録。
1979年(昭和54年)8月滑走路延長(拡張)工事完了。 この工事は95名のOB寄付金により行われた。
1981年(昭和56年) ASK13にて、1日最多飛行回数79回を記録。
1984年(昭和59年)4月 14日H-23A-3報知号が引退飛行。(飛行回数15,542回) 報知号に乗ることは一人前として扱われ、皆のあこがれの的であった。
 4月ASK-13(JA2324)導入。
1990年(平成2年)7月アスティアCS77(JA2228)を売却。
1991年(平成3年)2月 1日SAFモーターグライダークラブ発足。
1992年(平成4年)4月ASK-13(JA2324)売却。
1993年(平成5年)5月 3日大利根町子供会体験飛行会開催。
 11月 7日H-32、東海大相模高校から関宿滑空場へ移送。
 11月 23日大利根町町民体験飛行会開催。
1996年(平成8年)5月 3日ASK13(JA2130)が3万回飛行記録達成。 大利根町島田町長を主賓に迎え記念式典が行われた。
  多くのOBが復帰し立て直し策を練る①社会人会員受入②単座機導入
1998年(平成10年)8月 3日Ka-6CR(JA22CT)が読売大利根滑空場で初飛行。
 9月 8日アロー基金設立 五島登氏により滑翔技術向上のため、海外へ一時留学する会員に援助を行う目的で設立された。
1999年(平成11年)2月 14日ASK13(JA2130)アウトランディングで大破。
 5月 11日飛行援助用航空局「よみうりおおとねフライトサービス」認可、開設。
2000年(平成12年)1月 09日Ka-6CR(JA22CT)が読売大利根滑空場において墜落。 高井敬昭氏が墜死。
 8月 6日PW-5(JA21TT)が読売大利根滑空場で初飛行。
2002年(平成14年)2月 13日学生航空連盟発足50周年記念祝賀会が高輪プリンスホテルにて開催。
  大利根町から借用許可を得て、実質1150mで運用を開始  
2003年(平成15年)11月 01日2003年5月正式に延長への活動開始 H-32の修復が完了し完成披露。
2004年(平成16年)1月 11日TOSTウインチ導入。
 2月 1日PW-5(JA21TT)が着水大破、抹消。パイロット負傷。
 8月 22日ASK13(JA2130)が35,000回飛行達成。
2005年(平成17年)5月 5日大利根町子供会体験飛行会開催。(モーターグライダー使用)
 5月 15日ASK13(JA2130)が4,000時間飛行達成。
 12月 11日B1-PW-5D(JA2571)が読売大利根滑空場で初飛行。
2006年(平成18年)5月 5日大利根町子供会体験飛行会開催。
 5月 6日ASK13(JA2130)が36,000回飛行達成。
 8月 3日K8Bの修復作業開始。
 9月滑走路延長占有許可申請を提出
 10月 29日K8Bの修復が完了し完成披露。
2007年(平成19年)4月 29日滑走路延長、総延長1350メートルとなる。延長改修工事着手
 5月 5日大利根町子供会体験飛行会開催。
 5月 20日平成19年度滑空技能競技会開催。
2008年(平成20年)1月 6日東京理科大ASK13(JA2346)を借用、関宿滑空場にて耐空検査。
 1月 20日輸入ナイロン索を導入。鋼索との2連曳航開始。
 2月 20日東京理科大ASK13(JA2346)用トレーラー完成。(久保工作所)
 5月 18日平成20年度滑空技能競技会開催。
 7月 20日ASK13(JA2130)曳航中止後の回復操作遅れにより墜落。 パイロット負傷。機体全損により抹消。
2009年(平成21年)5月 5日大利根町子供会体験飛行会開催。(モーターグライダー使用)
 5月 10日国産ナイロン索導入。
 6月 7日 11月 7日平成21年度滑空技能競技会開催。 H-32、関宿滑空場にて東北大キュムラスとコラボレーションフライト。   
2010年(平成22年)3月 25日特定非営利活動法人学生航空連盟、埼玉県知事認証。
 4月 1日特定非営利法人学生航空連盟登記、事業開始。
 5月 3日加須市子供会体験飛行会開催。(モーターグライダー使用)
 7月 30日東北学院大より、L-23スーパーブラニク(JA2482)、ASK23B(JA2386)、Discus b(JA2531)を譲渡。
 8月 1日グライダー・フライトシミュレーター導入。 製作に際して海老沼昭夫氏のご支援ご協力を頂く。
 8月 5日高校生夏休みグライダー教室開催。
2011年(平成23年)1月 27日「よみうりおおとねフライトサービス サポート1」認可、開設。
  草刈り用トラクターが盗難被害。株式会社 Japan General Aviation Service より資金援助を受け、トラクターと草刈り機購入
 5月 5日加須市子供会体験飛行会開催。(モーターグライダー使用)
 5月 7日東京理科大ASK13(JA2346)、関宿滑空場にて夜間係留中損壊被害。
 6月 19日PW-6U(JA60YG)、60周年記念事業として会員及びOBの方々からのご寄付により新造発注。
 7月 3日L-23スーパーブラニク(JA2482)、読売大利根飛行場で初飛行。
 10月 10日東京理科大ASK13(JA2346)、修理完了。東京理科大へ返却。
 12月 14日PW-6U(JA60YG)、読売大利根飛行場で初飛行。
2012年(平成24年)2月 26日学生航空連盟創立60周年記念祝賀会開催。
 4月1日搭乗費の改訂 月定額搭乗費は高校生 5,000 円、学生(高校生以外) 7,500 円
2013年(平成25年)4月1日搭乗費の改訂 月定額搭乗費 18 歳未満を廃止し、25 歳以下 7,500 円に統一
  2007年に着工した滑走路延長改修工事が完了
2014年(平成26年)11月滑走路改修工事を実施。(13側の拡幅)工事費の約 500 万円は SAFMG クラブ及び五島登氏からの寄付による。
2015年(平成27年)2月1日Discus b(JA2531)着陸時に機体損傷。機体は修理され、運用を再開した。
 5月31日Ka6E(JA2234)の運用を再開。
 10月10日読売羽田航空事務所見学会を実施。 会員 18 名が参加した。
 11月7日敬老の日体験飛行を実施。 新川通の住民を含む12 名が参加し、モーターグライダーの体験飛行を行った。
2016年(平成28年)1月9日加須市成人式体験飛行を実施
 4月1日搭乗費の改定。 25 歳以下月定額搭乗費を 7,500 円から 10,000 円に変更。
 4月29日 ~5月1日全日本高等学校滑空選手権大会に会員の安藤大輝君が参加。 成績は個人・準優勝であった。
2017年(平成29年)7月2日ウィンチエンジンブロー発生。 ウィンチの修理期間中は慶應義塾大学體育會航空部よりウィンチを借用し運航を継続した。
2018年(平成30年)2月24日読売新聞東京本社航空部が名誉会員として入会する。
 3月4日昨年換装したウィンチのエンジンがブローを起こす。 株式会社 Japan General Aviation Service より資金援助を受け、再度エンジンを購入する。
2019年(平成31年)6月12日奈良修一氏が会長に就任。
 6月22日読売羽田航空事務所見学会を実施。 会員 15 名が参加。
2020年(令和2年)4月1日年会費および搭乗費の改定 学生の月定額制搭乗費は、練習生 10,000 円、自家用操縦士 15,000 円となった。
2022年(令和4年)2月26日創立70周年を迎える。コロナ禍につき祝賀行事は延期
 7月29日 ~31日全日本高等学校滑空選手権大会に逸見康太君、三輪朋践君、山品 浩人君の3名が出場した。 個人の部 逸見康太:準優勝、三輪朋践:4位、山品浩人;5位 団体の部 準優勝
 11月5日H32(JA2050)を老朽化につき抹消、引退式とNPO関宿滑空場への譲渡式が40数余名の参加により関宿滑空場にて行われた
 11月6日OB16名が参加し、加須滑空場にて撮影会を実施。 JA01DAが飛来し参加
 12月11日読売ヘリの飛来と体験搭乗が実施。読売新聞社航空部次長来訪