この度は学生航空連盟70周年、誠におめでとうございます。

私は1989年から91年の高校生時代に学連にお世話になっていた小池と申します。現在は国土交通省航空局の試験官/テストパイロットとして勤務しておりまして、ご縁があり今回寄稿させていただくことになりました。この機会に私のパイロットとしての半生と、学連グライダー経験がどのように役立ったかを振り返ってみたいと思います。

1 学連グライダーパイロットになったきっかけ

小さいころから電車と飛行機が大好きで、関連するテレビや雑誌は隅々までチェックしていました。(当時インターネットがなく情報は積極的に探さないとたどり着けない世の中でした。)

中学生のころ、夕方のニュース番組内のコーナー「南ちゃんを探せ」で東海大相模高校のグライダー部が紹介されたのを観て、「学生が操縦できるなんて凄い!」と驚いたのを覚えています。その日から高校生パイロットを目指し、無事に航空部に入部し週末に神奈川から埼玉へ通いフライトする日々が始まりました。ここではフライト以外にもチームワークや信頼関係など人生に必要な大切なものを学ぶことができました。残念ながら高校3年の間に滑空機の技能証明を取得することはできませんでしたが、この飛行経験はのちに私の人生の大きなアドバンテージになります。

2 海上自衛隊入隊

パイロットになるためには?とその道を探したところ、その時代、飛行機に関しては航空大学に進むか航空会社の自社養成制度が主流でした。現在は大学で操縦士教育を受けることができる学部がありますが、80年代後半から90年代前半においてパイロットになる道の選択肢は少なく、一番若くしてパイロットになれて、自宅の近くに基地(厚木基地)のある海上自衛隊の航空学生を目指しました。入隊後は、それまでのぐーたら生活から一変して規則正しい、厳しい生活となり、基礎教育での学科教育や実技(操縦)教育では脱落しそうになりながらもなんとかプロのパイロットになることができました。

3 P-3Cパイロット時代

教育部隊を卒業した後、まずは青森県の八戸基地に赴任しました。ここではP-3C哨戒機の副操縦士として日々のフライトや地上業務に追われる毎日でした。八戸は青森県の太平洋側に位置するので豪雪地域ではありませんが、滑走路の凍結など寒冷地運用を経験することができました。

次に赴任したのは沖縄の那覇基地で、今度は美しい青い海の上が私のOFFICEとなりました。1年ほどして26歳で機長に昇格し、ここで若くして色々なプレッシャーを感じながらフライトした経験が私を成長させました。そして鹿児島の鹿屋を経て千葉県の下総基地でP-3Cの教官となり、その後厚木基地でTEST PILOTになります。

自衛隊時代の任務のことは詳しく書けませんが、我々の仕事は「xx国の艦艇・調査船がzz島付近の日本の領海に接近/侵入しました。」と、よく新聞記事になりました。このような記事を見るたびに国の安全保障に関わる者として充実感を得ることができました。

4 熱望していたTEST PILOT COURSE入校

もともと飛行機大好き少年であった私は、様々な種類・機種を操縦する機会のあるTPC:TEST PILOT COURSEを熱望していまして、同期で1~2名ほどしか入校できない枠の一つを幸運にも得ることができました。TPCでは航空機の試験・評価する技術と知識を習得するのが目的で、その訓練では戦闘機、飛行艇、ヘリコプターなど約20機種の自衛隊航空機の操縦を経験します。卒業後は当時開発中であった国産哨戒機P-1に関わることができ、貴重な経験をさせていただきました。

米国ワシントン州Mt.レーニア上空を飛行する
日米P-3C(私は撮影機に搭乗)

5 航空局(JCAB) TEST PILOTとして

自衛隊での開発業務の経験を活かし、国土交通省航空局の操縦職員に転籍して国産ジェット旅客機(MRJ)の型式証明飛行試験を行うことになりました。私が入省した当時は航空局内に飛行試験を行った経験者は皆無で、まず飛行試験の文化を理解してもらう草の根運動みたいなことから始めました。航空局の操縦職といえば試験官や運航審査官などオブザーブシートから評価するのが主な業務で、本人が操縦する機会は多くありません。MRJの飛行試験では主体的にJCABのTEST PILOTが操縦して評価しなければなりませんが、当初は十分な訓練予算も組まれておらず数年かけて「あるべき姿」を構築し、飛行試験に係る様々な内部規則をゼロから作るチャレンジングな仕事を経験しました。国産機MRJの型式証明のみならず、エアバスやボーイング製等で新たに我が国の航空会社に採用される機種は新たに我が国の型式証明を得る必要があり、そのための飛行試験を私が担当しています。2013年から2019年の間にA320neo、A321ceo、A330、A350、A380、B737-8max、B787-9、B787-10、ERJ-190の飛行試験を行いました。

また、これらの飛行試験の経験を活かして、私は試験官としてパイロットの技能証明試験を担当しています。A350やB787の試験ではほとんどがシミュレータで完結してしまうため実機搭乗の機会が少ないのが残念です。

6 10代でグライダーを経験したことの意味

ここが本題です!

私のパイロットとしての半生は、前半が自衛隊操縦士、後半がTEST PILOTと分けることができます。いずれの業務においても基礎となるところは学連グライダーパイロットの頃からなんら変わっていないと断言できます。

一つ目はATTITUDE FLIGHTの重要性の理解です。グライダーでは水平線を見てピッチをセットし速度が安定しますが、この経験が自衛隊での単発機による初期訓練において、同期と比較して大きなアドバンテージとなりました。まず姿勢をセット⇒次に計器で確認⇒微修正といった流れが最初はなかなかできません。飛行機はグライダーよりもたくさん計器が装備されていますので、結果が気になり計器を注視して姿勢が安定しないというループに入りやすくなります。同期がそれと格闘している時に、私は他のことにワークロードを割くことができました。TEST PILOTになってからも同じです。飛行試験では1kt、1ft単位のデータが要求され、姿勢をビシッと安定させないと取得したデータが使い物になりません。

もうひとつはエアマンシップです。正直学生時代に一生懸命グライダーをやっている時はあまり深く考えないかもしれませんが、教官・先輩・同期、時には後輩からこれを自然に学んでいると思います。目の前のことを守れない人がフライトで空のルールを守ることはできませんし、地上で余裕のない人がフライトで余裕があるわけないです。他人を信頼できない人は他人から信頼されないでしょう。空での失敗は事故や人の死に直結します。絶対に事故を起こしてはならないという姿勢と、チームとして(安全を含めて)目的を達成する一体感がないと航空機の安全運航は揺らいでしまいます。ぜひエアマンシップという言葉を意識して行動してみてください。

このようにプロの飛行機パイロットである私の始まりは学連グライダーです。他の人よりも早く、高校生でグライダーを通じて航空の世界に触れる機会を得たのが幸運であり、そこで出会った教官、先輩、同期、後輩には大変感謝しております。

これからの学生航空連盟のさらなるご発展と安全運航を祈念いたします。ありがとうございました。

高校卒業直前、栗橋にて教官、先輩、同期、後輩と