日大藤沢と上遠野さん

私が初めてグライダーに出会ったのは、1960年5月、日大藤沢高校(日藤)航空部に入部して霧ヶ峰式K-14でした。入部したとき塩谷君がいました。同年に関口君、下里君が入ってきました。先輩に大きな声でパワーのある3年生の堀さんがいました。部活動は活発で、放課後に運動場でフライトすることが多かったです。翌年、青木君、内田君、渋谷君、鈴木君(現教官)、鈴木卓君らが入部してきました。その後の3~4年で、内堀君、大塚君、河村君が入部しています。

上遠野さんとの出会いは、航空部部長の先生がOBとして生徒指導をしてほしいとのことから、時々訓練の状況を見て指導を受けていました。

当時、学生航空連盟への入会はどうだったのかを振り返ると、第一には上遠野さん。どのような経緯で入会したのかは忘れました。続いて森さん。次が高1で同輩部員の塩谷君が夏頃に、そして10月に関口君が入会しました。部員にとっては寝耳に水のことでした。翌年になると、卒業した堀さんが入会。そして部員の内田君、渋谷君、鈴木卓君、下里君が入会しました。同期の鈴木君はキャプテン候補なので断念してもらい、青木君も入会をとりやめました。

部員の活動の軸足は学生航空連盟へ移っていきました。その後も部員のまま入会する人は続きました。中途退会を含めると日藤出身の入会者は、25~26名いたと思います。当時、一校の学生が続けて多く入会することはありませんでした。卒業後は航空関係で、又OBとして活躍しました。

私は1963年に学生航空連盟に入会。新人は20人くらいいました。ちなみに同期にASW-28を購入して乗せてくれた岩河君、MGクラブ代表の平原君もいました。入会すると、私の後席は上遠野さんに決まり、毎週日曜日徐々に厳しさを味わうこととなりました。地上では、自由に話しの出来る良き先輩で、往路の電車の中で大笑いをしたことがあります。しかし機上の人となると、練習という優しい言葉ではなく、訓練であって、別人この上ない厳しい先輩に変身しました。

上遠野さんが本格的に後席で指導するのは、日藤からのようで、私は常に「他のヤツに負けるな。最初にソロに出ろ」と言われ続けてきました。他の人も同じように言われていると思いますが。厳しさの甲斐あってか、11月に入って長島君(ANA・故人)と一緒にソロに出ました。着陸後、上遠野さんに報告に行くと、嬉しそうに「ンン!」という表情でうなずいていました。

日藤出身の活躍は、上遠野(秀樹)さんを筆頭に、もう一度名前(敬称略)を上げると、森盈造、堀政通、関口尚親、塩谷健児、下里俊六、鈴木俊行、青木和人、内田睦郎、渋谷義夫、鈴木卓、内堀正美、大塚清次、河村融人、正確に名前を思い出せるのはこのくらいでしょうか。全員がソロに出てライセンスを取得しました。FAI銀C章を4名(森、鈴木、内田、河村)が獲得。森さんは、現役会員のオーストラリアでのフライトのきっかけをつくり、栗橋での活性化を図ってくれました。関口君は、SAFMGクラブの前進となるクラブ創立に関わって現在に至っています。

委員長他の役職や、記録会、選手権大会や指導者講習会にも参加しました。強力なリーダー上遠野さんの指導と牽引によるものです。

学生時代に訓練や整備の参加率が機関誌「大空」で公表された時期がありました。訓練の参加トップには、だいたい上遠野、鈴木、内田。整備には鈴木、内田、青木の名が連ねていたと記憶しています。上遠野さんの睨みが効いていたようで、皆積極的でした。日藤以外の会員でも上位に連ねる人は、同じ人が多いです。

社会に出て活躍している中で、同輩の内田君が航空事故で、青木君、鈴木(卓)君が病気で早世するという悲しい出来事もありました。上遠野さんは2018年に鬼籍入り。訃報のたびに大きなショックを受けました。このような同輩の中で、今も現役として元気に活動している鈴木教官をみると、大変誇らしく思います。

 上遠野さんは、日藤OBのリーダーとしてOBが隆盛期の学生航空連盟の運営の一翼を担え、現在のNPO法人学生航空連盟へ継続している功績は大きいです。学生航空連盟創立70周年記念を迎えるにあたり、改めて感謝の意を申し上げます。