1952年に玉川読売飛行場のおよそ600mの滑走路からスタートした訳ですが、1969年に利根川河川敷に移転後の占有許可の記録によると滑走路長及び滑走路位置が下図の通り、過去3回変更されています。当初は東部鉄橋からわずか150m上流にRWエンドがあった為、栗橋サーカスと言われるような着陸を余儀なくされていました。また、雨が降ると水溜まりやぬかるみに悩まされ、土方仕事や草刈りに汗を流した思い出をお持ちのOBも多いと思います。安全運航の為にも滑走路延長は悲願だった訳ですが、その念願を叶えるべく、2003年より関係部門との調整、2007年からは実際の改修工事をリードされ、10年がかりで現在の素晴らしい滑空場を作り上げた松倉OBのレポートを掲載いたします。

玉川読売飛行場
上空からの全景左端が31、右端が13
RW13からの離陸

この状態を維持するためには、夏場の毎週の草刈りが必要です。
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1.滑走路延長の背景と実現経緯(松倉忠明)

2.各方面との調整、占有までの経緯(2003年~2007年)(松倉忠明)

3.延長の必要性の根拠(運行安全)(岩河信勝)

4.最終占有地図(松倉忠明)

5.滑走路延長工事7年間の記録(2007年~2013年)(松倉忠明)